日本人に一番なじみの深い緑茶ですが、始まりは奈良・平安時代と言われています。当時は遣唐使が往来し、中国の唐より日本へお茶の種を持ち帰ってきたことがきっかけだったそうです。お茶は非常に貴重な飲み物で、僧侶や貴族階級といった限られた人々だけが飲むことができました。室町・安土桃山時代には、「侘茶」や「茶の湯」といったお茶の礼式がつくられ、豪商や武士たちに浸透していきました。
江戸時代には、一般庶民にも飲料としてお茶が浸透していきましたが、上流階級の人々が飲むお茶と違って粗末なものを飲んでいたそうです。その後、茶の祖と呼ばれる永谷宗円という人物によってお茶の製法が考案され、色・香り・味の全てにおいて圧倒的に優れた煎茶を作り出す技術が生まれました。この製法は全国の茶園に広がり、日本の主流となっていきました。流通機構が発達してくると、問屋と生産者の間で許可制の取引が行われるようになり、アメリカと日米修好通商条約が結ばれた後は、糸と並ぶ重要な輸出品となりました。
お茶が日本人の生活に根付いたのは大正末期から昭和初期
明治に入ると、集団茶園が形成されるようになり、今まで茶園の開拓をしてきた士族から農民へ継承されていきました。集団茶園の形成は、茶園の形成だけではなく、茶業を中心とした関連産業の成立に影響を与えました。また、高林謙三という人物による茶葉揉葉機の発明をはじめとし、機械化が急速に進むことで、省力化と共に品質の安定化に寄与しました。花形輸出品として発展してきた日本茶ですが、紅茶の台頭により輸出は次第に停滞していきます。代わりに国内の消費が増え、お茶は国内向け嗜好飲料に変化していきました。お茶が日本人の生活に根付いたのは、大正末期から昭和初期と言われており、意外にも最近の出来事なのです。